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広島高等裁判所岡山支部 昭和25年(ラ)2号 決定 1950年6月02日

主文

本件抗告を棄却する。

抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

本件抗告の要旨は、

相手方は、資本金一億四千万円の鋼船の新造修理及び化学機械の製作等を目的とする株式会社であり、抗告人は全造船労働者を以て組織する全日本造船労働組合所属の組合員中相手方に雇傭せられている労働者を以て組織する労働組合である。そして相手方は、昭和二十四年三月一日抗告人との協議に基き従業員就業規則を作成し、同規則第九十四条には、「この規則を改正する必要を生じた場合は労働組合との協議によつて行う。」と定められた。しかるに、相手方は、同年十一月下旬右規則の改正を企て、抗告人と協議することなく大変更を加え、同年十二月三日その旨所轄の玉野労働基準監督署に届出で改正就業規則を以て相手方の就業規則とするに至つた。詳述すれば、相手方は右変更にあたり、同年十一月二十六日労働基準法に従い抗告人の意見を求め、同年十二月一日までに回答すべき旨通告して来たのであるが当時は抗告人と相手方は賃上問題をめぐり闘争状態にあり、抗告人組合の執行部は奔命に疲れて居り、更に前記旧規則にも違反する通告であるに加えて改正内容も重要部分の全面的改正であるので五日間で審議し得るものでないから、右一方的申込には答えず、同年十二月五日相手方に対し「規則変更は旧規則第九十四条に違反する無効なものである、旨を通告した。ところが相手方は同月二日抗告人に対し「指定の五日内に意見がなかつたから申請人は規則変更を承認しないとみなす。」と通告し、前記の如く、規則変更を届出た次第である。

以上の如くであつて相手方の本件規則変更は、一応労働基準法に定めた手続に従つているものの同法は最低の基準に過ぎず就業規則に違反した以上同法第一条第二項、第二条第二項の趣旨からも無効といわねばならね。

抗告人は、右の理由により、規則変更の無効確認の本訴を提起すべく準備中であるが、就業規則は会社の法規として抗告人組合員を拘束するので、本案判決確定をまつときは、抗告人において不測著大の損害を生ずる虞があるので、原審、岡山地方裁判所に就業規則変更の効力停止及び旧規則を以て就業規則としなければならない旨の仮処分を申請したが却下せられたので、ここに敍上の理由により原決定を取消し、右の旨の仮処分を求めたく、本抗告に及ぶというにある。ところで疏甲第一号証、第二号証の一、二、第五号証及び原審における尾高瀞、加藤五一の各審訊の結果を綜合すれば、相手方が昭和二十四年三月一日定めた旧従業員就業規則にはその第九十四条に「この規則を改正する必要を生じた場合は労働組合との協議によつて行う。」と規定してあるのに拘わらず、同条項にいう労働組合たる抗告人に協議することなく同年十一月二十六日、五日間の回答期限を付して規則変更につき抗告人の意見を求め、抗告人は右期限内に意見を述べなかつたので、相手方は同年十二月三日所轄玉野労働基準監督署に組合が意見を提出しないものとして就業規則変更を届出でたことが認められる。

そして、抗告人は、右規則変更は協議を求めなかつた点において右就業規則第九十四条に違反し、無効であると主張するので以下本件の中心問題であるこの点について検討する。いうまでもなく、労働協約が労働組合と使用者との協定であるのに対して、就業規則は使用者が職場単位に設ける規則であり、この点において相互協定たるを本質とする労働協約と性質上の差異があるといえる。それが使用者の完全な一方的専断的制定にまかせられて来た沿革はしばらくおくも、その制定に職場労働者の意見を反映せしむべく配慮した労働基準法第九十条も亦その作成、変更の権限がほんらい使用者に存するという基本的立場に立つことにおいては変りがない。それは、いわゆる経営権の思想を背景とし、その現実の発動たる職場の秩序として労働条件の基準等を定めることを使用者の権限たらしめたものといえるであろう。

かくいえばとて、権利の自律的制限が法律秩序一般と矛盾しない埓内において許されることはいうまでもないところであつて、就業規則の作成、変更亦その例外をなすものではなく、労働側と協議してこれを作成し、又その改正につき労働側と協議すべきこととするのはそれ自体違法視さるべきいわれのないのはもとより、かくすることによつて労働側の協力を得て真に職場における秩序の維持が効率的に行われるのであり、いわゆる経営民主化の線にそうものとして望ましいことといわねばならない。本件就業規則がこの行き方をしたものであることは、その前文(疏甲第一号証参照)及び前記第九十四条の規定によつて明らかである。

ところで右第九十四条に「この規則を改正する必要を生じた場合は、労働組合との協議によつて行う。」というのは、協議なくして行われた規則改正を無効とする趣旨に解すべきであろうか。あるいは又かかる規則改正も有効ではあるがただ就業規則に違反した使用者の責任問題を生ずる可能性あるにとどまるものと見るべきであろうか。換言すれば右規定にいう「労働組合との協議」なるものは、ほんらい使用者の有する就業規則を変更する権限をいわば物権的に制限するものと解すべきか、あるいは単に、就業規則の改正にあたつては労働側と協議すべき債務を使用者に負担させた趣旨にとるべきか。本件の核心はこの点に存する。

而して、この点を解決する鍵となるのは、前記の如く就業規則の変更権はほんらい使用者のものであるということと、本件においては就業規則の改正に「労働組合との協議」を要することとしながら、当然予想せられる協議不調の場合に対処すべき何らの措置も構ぜられていないという事実(疏甲第一号証参照)である。使用者がほんらい有する権限を「協議」という形で―物権的に―制約するのであればむしろ必然的ともいうべき協議不調の場合を見越しての妥当な手当が用意されるべきであつたといえるし、かりに若し、かかる代措置を配慮するまでもなく右第九十四条自体が「労働組合との協議」が調わぬ限り就業規則の改正が許されぬという趣旨を規定したものであるとすれば―右規則は疏甲第一号証によつて明かな如く極めて広汎な内容を有するのであるから―それは、使用者の就業規則変更権に対する不当の拘束となり、更には亦ほんらい自由な使用者の経営権に対する過大の制約となり、結局権利の自律的制限がその限度を越えたものとして無効の規定といわざるを得ないこととなる。このように考えると、右第九十四条の解釈としては、使用者は労働組合との協議がととのわぬ場合には、そのほんらい有する就業規則変更権を発動し得るものとなすのが最もそのところを得たものとせねばならぬ。いいかえれば、同条は、就業規則の改正を使用者と労働者のいわゆる「協議決定」に委譲したものではなく、同条にいう協議の実体は、これを窮極すれば、相互納得を理想として組合と意見を交換し、又、たかだか組合の合理的な意見には聴従するという債務を使用者に課したに過ぎないものというべきである。そして、協議の実体にして右の如くである以上、協議を経ずして就業規則の改正が行われたとしても、右の如き協議すべき債務の不履行の問題を生ずる余地のあるのはしばらくおき、そのことから直ちに規則改正そのものの無効を招来するとはなし難く、右改正自体は完全にその効力を生ずるものと解するのが妥当である。

右の結論は労働側に酷に響くかも知れない。然しながら、労働側にして、その労働条件などに関し、その意に反して侵されざる一線を劃したければ、労働協約によつて喰い込んで行く道があるのであり、就業規則の前記条項にこれと類似ないし同一の効果を認め得ないことは、前敍説示の通りである。

又、前記第九十四条に違反し、労働組合と協議することなくして行つた就業規則の改正も有効であるとの前記結論は、決して同条を無意味ならしめるものではない。それが就業規則に違反し、労働基準法第二条第二項に違反した所為であることは間違ないところであり、従つてこれに基づく法的評価を甘受しなければならぬことはいうまでもなかろう。たとえば、かかる改正によつて労働条件を低下せられた労働者が労働条件の復旧を目的として争議等に訴えた場合右違反はこの実力行動の正当性の評価について少くとも一つの基準とはなるであろうし、又かかる改正が協議すべき債務の不履行として損害賠償義務などを生ぜしめる可能性も考えられないではない。要するに就業規則違反はそれとして責任を生ずるのであるが、そのことと就業規則違反の行為が無効となるか否かの問題とは区別されるべく、後者は各具体的場合に即し、愼重に決せらるべきである。

以上の如く、本件就業規則の改正が前記第九十四条に違反するが故に無効であるとの抗告人の主張は採用し難い(なお、規則変更に対する意見回答期限が五日に過ぎなかつたことは疏甲第一号証の一と疏甲第二号証の二との対比によつて明らかな如く改正の内容が労働者に不利であり、又前記尾高瀞の審訊の結果に徴し認められる当時抗告人、相手方が闘争状態にあつたことから考えれば、いささか性急に失し、妥当を欠くとはいえるが、しかもなおそれが不可能を求めたことになるとも認め難いので結局労働基準法第九〇条第一項の「意見を聴く」手続は履践せられているといわねばならない。)から、その無効であることを前提としてなす仮処分の申請は却下を免れないものというべくこれと帰結を同じうした原決定は相当であり、本件抗告は理由なきものとして棄却を免れない。

そこで民事訴訟法第四一四条、第三八四条、第八九条を適用して主文の通り決定する。(昭和二五年六月二日広島高等裁判所岡山支部第二部)

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